2009年11月10日

論文メモ「マンガナウシカと創造的思考」U −ゲームと宗教の共通点−

講義中に「マンガナウシカと創造的思考」の話をしたら、学生が思いの外素晴らしい反応を示してくれ、また、私自身気がつくこともあったので追記を書いておく。

問いとして「なぜ、ゲームに熱中するか」を出した。
寝る時間を惜しみ、ためにならないゲームに熱中するか。いまどきのTVゲーム、ポータブルゲームに限らず、将棋や囲碁も、同じくゲームの中に含まれる。そして、世界中の7割以上、多分、9割を超える人々が、死後天国に行くと考える理由でもある。

学生の回答を引用
・ストーリーがあり、次が知りたい。
・ゲームをクリアした達成感
・友達とコミュニケーションできる
・自分の夢みたいなことを見れる。
・楽しいから
・暇だから 自論としては生きていること自体が暇つぶし

先ほど書いた文
「ゲームが楽しいのはこの世界よりもルールが明確化され、成果が確実に約束され、結果が与えられる、ということである。」
エントロピーを使って説明しよう。エントロピーの情報学上の概念を要約すると「ありがたさの確率」になる。物理学上の概念とは異なっているので注意が必要となる。

ゲームが楽しいのは、この世界のエントロピーよりも高いからである。つまり、ルールが明確にあり(隠されていることも多々あるが)、1つの行為に対しての結果がはっきりしているからである。ゲームの難易度(確率ではないもの)ではない。将棋や囲碁のように生産性に寄与するものではない。ゲームは勉強よりも生産性が極めて低い、あるいは遠い行為である。また、自分の変身願望や異界への憧れを満たさないゲームも多い。
RPGでは、怪物を倒すと経験値とお金が手に入る、というルールがある。そして数引き倒すとレベルが上がることになる。けれども、勉強では10時間勉強すれば成績が可から優になることが明確に決まっていない。つまり1つの行為に対する「ありがたさの確率」が異なるわけである。河野義行さんのサリン後の言葉にも見受けられる。また、阿弥陀思想やユダヤ思想にも見出せる。
ゲームの難易度は時として勉強よりも高い場合が往々にしてあるが、その行為から結果までの「ありがたさの確率」はゲームの方が優れているのである。講義でも学生が人数が増えると喋り出したりゲームをやったり漫画を読み出すのも、「自分が発見されて罰を受けるという確率」が低下するからに他ならない。私のように講義中に20回も教室をグルグルすればエントロピーが低下するのである。決して私は声を荒げたり、怒りをあらわにしたり、罰を言い渡さないのにも関わらずである(ただしこうして表明したことを学生が知った場合エントロピーは変化する)。
朝のバスから眺めた駅前のキャバクラが存在するのもエントロピーで説明できる。可愛い女の子と楽しく会話が出来る確率が高いのである。そこにお金を払うのである。対して大学や会社、バイト先の異性は、個人個人の事情を抱えて楽しく会話が出来る確率は低い。キャバクラと言っても当然、個々人の事情で不機嫌な場合もある。それゆえ確率なのである。逆に人間は必ず「楽しい会話が出来る」と判りきっていると、それだけで楽しくなくなる(行った事がないがこのように推測した)。

天国もまた同様で、「いい人間が天国にいける」のである。もちろんそのように考えない教義もあるが、大衆に受け入れられている教義とは「いい行いを積み重ねれば天国にいける確率が高くなる」というのは洋の東西を問わない。
宗教教団の戒律が、「うそをついてはいけません。人を殺してはいけません。」となっているのは、社会科学的には農耕社会の成立による所有権の確立(確率ではなく)という要因があった。他方、それに「地獄に落ちますよ。永遠に苦しみますよ」というのが必ず付属するのは、ゲームと同じくエントロピーからも説明できる。
この世界、目の前の現実世界は、明確なルールがない。そしてそれゆえそこに人間の創造的思考が発揮可能な余地があるし、またそのように生物進化を重ねてきた。目の前のこの世界に明確なルールがないことによって人々は不安に駆られる。社会環境が変化して不安が増大すると、その不安を解消しようとして「ありがたさの確率」=例えば「人を殺してはいけません。地獄に落ちて永遠に苦しみますよ」や「善人は必ず報われます」という宗教思想が流行るようになるのである。
この世界、目の前の現実世界では、寸善尺魔というように悪人がのさばることも多く、善人が損する場合も多々ある。エントロピーの視点からすれば、目の前の世界のルールから脱して新しい自分たちのルールに改変し、安住しようとする行為の範疇に、TVゲームと宗教教団の教義が含まれることになる。他に例を挙げれば、ファッション雑誌による流行や、サッカーやバスケットのスポーツなども入るだろう。それぞれ加わる要因が異なるにしても共通点がエントロピーとしてある。
また、「絶対者を信じることが出来たことで救われる」とする宗教の原理は、この世の「お金があればいい。美しい方がいい」という世俗の原理と対峙するエントロピーと見れらる。「ありがたさ」を永久として増大させてあるエントロピーなのである。

最後に、授業中でも、エントロピーを使って学生に私語を慎ませる方法がある。それは罰則を重くして私語をする「ありがたさの確率」を下げることである。怖い先生や厳しい先生の前では静粛であるのはこのためである。ただ、教育そのものが、最初から成果がはっきりしないという行為である。それを「いい学歴を取ればいい会社に入りいい人生を送れる」というルールを社会的に構築してきた。この「ありがたさの確率」が大分崩れてきているのは昨今言われる通りである。

創造的思考によって「エントロピー」を増大させる、ということは学歴社会のエントロピーが崩れてきた情報化社会で必要とされており、具体的には、新しいプログラムや情報コンテンツとして富(金銭に限らない)を生み出すようになってきている。


追記:
ただし、ゲームと宗教教団とではエントロピーのあり方が異なっている。ゲームがエントロピーを享受者として個人のみで体験できうるのに対して、宗教教団では集団内での合意としてエントロピーを享受する。両親や血族、あるいは国家の宗教が統一、あるいは統合へと向かうのも「ありがたさの確率」を上げるためである。対してゲームはユーザー同士の交流がある場合もあるが、決してゲームの必須条件ではない。こうした違いは、サッカーや流行などでも異なる形を取る。
posted by みちゆき at 10:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

論文メモ「マンガナウシカと創造的思考」

平成21年11月9日 朝バスの中で 某大学に向かう

梅津信幸著『あなたはコンピュータを理解していますか?』120P 
シャノンが「情報とは何か」を諦めた、ことによって発展してきた。

博学強記が知性であった時代は過ぎ去ってしまった。それはインターネットやコンピュータの中に膨大な知識量が埋蔵し、楽に検索できるようになったから。

外山滋比古著『思考の整理学』91P つんどく法にあるように曖昧なもの、ごわごわしている塊をまとめあげるのが大切。これはコンピュータの0と1にすっきりさせるもの。3段論法でやってもらっている。
こうした視点から眺めると、人間らしいといわれる行為がルール化によって切り分けられる。お笑い。酒を飲んで大はしゃぎをすること あほをやること ゲーム 二次元にいきたいとか。ゲームが楽しいのはこの世界よりもルールが明確化され、成果が確実に約束され、結果が与えられる、ということである。この世界からずれる、ずらす、ということが創造的思考ということになる。サッカーやバスケットもこの世界からずれている。この世界とは関係のない人為的で明確なルールの設定、という偏向世界

この点からするとドフトエフスキーの『罪と罰』は、小説世界、ひいてはこの世界の根底にあるであろうと仮定されるキリスト教的神話の再確認である。これに対してナウシカは、小説世界の根底にあるルールに絶望して破壊していく。そして新しいルールを設定せずに終わる。新しいルールを設定せずに開いていることが生命である、と言い切る点がナウシカは、創造的思考を表明している、と考えられる。
映画「千と千尋の神隠し」は、この世界のルールの確認であった。それはこの世界のルールが製造物によって侵食されることによって起こったことで大ヒットになったのである。
posted by みちゆき at 10:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月28日

出る杭を打つ日本人の意識は江戸時代からか

NHK「こんなステキなにっぽんが「植木の技 根っこにあり〜埼玉県川口市〜」

根回し 植木で根を整えること→他の土地でも生えるようにすること
    大きい根っこは切る→大きい根は1本なので弱い。大きい根っこを切ると細かい根が出てくる。その方が養分や水分の吸収する。

これから事前に話をしておくことに転用。
何やら出る杭は打たれる、の意味を見ているようである。

仕立物(弱い枝を残す)というのも、何十年もかかる作業。老舗の8割が日本にある。それゆえ出来たのではないだろうか。イギリスや西欧の技術と違う技術ができた。それが江戸時代。

商品経済の発展が、ここでも日本人の意識を変えた。
紅葉が隆盛したのは江戸時代からだそうだ。
室内でも見れる紅葉「流星?」はほしくなった。

それにしてもNHKはいい番組を放送する。
根回しのわらを使う、それは土に還るから。素晴らしいな。

(UP済み)
posted by みちゆき at 12:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月25日

名優 川瀬義人さん


 川瀬義人(かわせよしと)

 という俳優に初めて出会った。
 第24回国民文化祭・しずおか2009 演劇 ビューティフル・フジマヤ でだった。
 心の中で、「う〜〜ん、凄い!!」と唸ってしまった。凄い俳優だった。

 私は演劇はそんなに詳しくないけれど、大阪に居た時に脚本や俳優をしている先輩が居て、幾つかの劇団や舞台を見せていただいた。けれど、彼ほどの俳優はいただろうか・・・と思い出して反芻(はんすう)してしまった。

 同じくビューティフル・フジマヤも脚本家の方にお誘い頂いて見る機会を頂いた。そうそう、舞台全体の感想を。俳優のレベルが非常に高い。東京や大阪でもかなりいい線いくのではないだろうか。男性女性の主演はもちろん、脇を固める中年カップルもかなり素晴らしい。脚本家の友人も同意してくれたが、「もっといじりたいけれど。。。」と。
 そうそう、2人で一致したのは、「もったいない」だった。

 素晴らしいレベルのものが、たった1日の2公演で終わってしまう。
 こんなに印象的なのに、もっと多くの人に見てもらえばいいな、と残念であった。
 ハリウッド映画は、1800円取って何回もやるのに、ビューティフル・フジマヤはたった1000円で2回。
 本当にもったいない。
 それが全体的な感想。

 川瀬義人さんは、素晴らしい俳優人の中でも、ピカピカと光り輝いている。
 心の中に残っている。
 超一流に出逢える喜びに浸れて本当に有り難い。生きていてよかったなぁ〜

 いやぁ〜〜う〜〜ん よかったでぇ〜〜〜〜
posted by みちゆき at 19:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月22日

明治期の写真HP

明治という国家
http://meiji.sakanouenokumo.jp/blog/
校長時代の好古氏の写真を初めて見た。年表が素晴らしい。

OLD PHOTOS OF JAPAN
http://oldphotosjapan.com/ja/
人物や葬式など面白い。
美人が、男女から明治期に女性になったなどの細かい解説も素晴らしい。
posted by みちゆき at 09:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

論文メモ「葬儀について」

葬儀について

http://oldphotosjapan.com/ja/photos/367/sogi-meiji#
http://oldphotosjapan.com/ja/photos/367/sogi-meiji

1890年代 明治時代の葬儀
タグ: 玉村康三郎 明治 屋外 風俗 信仰
ツール: 写真利用許可 お気に入り

霊柩車とその周りに大勢の参列者が写っている。場所は東京か大阪のような都会と思われる。幟には「故石橋老母喜久」の名が読める。明治時代、葬儀には通常大勢の人々が参列し、費用もかかった。短い間に一家に続けて二つの葬儀があると、その家は破産すると言われた。社会評論家からの批判、特に車が増えて人々が道路から押し出されるといった社会の変化などで、これらの派手な行事は結局終わりを迎えることになった。

葬儀の習慣は日本全国で異なり、全てに当て嵌まる説明は無理なので、ここでは東京の葬儀に限って紹介する。

明治時代になって、日本の葬儀についての考え方とやり方が画期的に変貌したが、最も重要なのは、それまで夜の間に控え目に行なわれていたものが、白昼大きな葬列を伴って行なわれるようになったことと、葬儀業者が出現したこと。このような変化は東京で始まり、その後全国的に広まった。

このような変化の中には数年間で廃れたものもあり、明治時代を通じて続いたものもある。また現在まで続いているもののある。

葬儀の習慣で明治時代に変わったが、短い間しか続かなかったのは、火葬の禁止で、1873年に施行された。当局では、これを親不孝なことと見做したのである。しかしこの禁令は定着せず、既に1875年には撤回された。

続いているもので大きな変化は、服装が画期的に変わったこと。アジアの殆どの地域同様、日本でも喪を表す色は昔から白だった。それが西洋の習慣の影響で黒になり、現在もそうである。

他にも重要なことは葬儀が仏式になったことで、以前は神式が多かった。

しかし明治時代に起った変化で最も大きなものは、葬儀の規模と装飾である。江戸時代の葬儀は通常控え目で質素なものだった。身内だけで遺骸を目立たないように夜運ぶのが普通だった。これが変わり始めたのは、1880年代(明治20年代)で、この頃から午後に行なうことが次第に普通になった。


写真の部分

江戸時代の厳しい身分制度がなくなると、葬儀は手の込んだ社交行事になり、葬儀に用いられる葬具類も大きく変わった。以前は一度限りしか使わなかったものが、貸し出しができるようになり、その結果、普通の人々も手の込んだ葬儀ができるようになった。葬儀そのものがより社会的なものになり規模も大きくなるに連れて、葬具類も次第に色彩豊かで美しいものになった。

東京の葬儀は、昔から葬式組という近隣の葬儀組合が執り行って来たが、明治時代の東京には葬儀社が生まれた。この言葉を実際に最初に使ったのは東京葬儀社で、1886年(明治19年)のこと。これらの会社は、棺、祭壇、通夜と葬儀で使われる葬具類全てを提供して、社員が葬儀を取り仕切った。

葬儀は先ず末期の儀式で始まり、遺骸の納棺が行なわれる。近所の人々や親類縁者が、自分達の間から世話人を選ぶ。二人の早使いが近所を回って知らせ、葬儀屋が棺と装飾、それに火葬の手配をする。この時点では、葬儀は私的なもので、親類縁者が遺骸に経帷子を着せて、棺に納める。祭壇の準備ができると僧侶が来て枕経を唱える。

通夜に参列するのは親類縁者と近所の人達で、それ以外の人々が参列することは稀だった。これらはいわゆる全通夜或いは丸通夜と呼ばれるもので、夜通し続いた。儀式そのものは宗派によって大きく異なるが、通常食べ物や酒が供されて、賑やかなものだった。

翌朝になると、葬列は通常10時頃に寺に向う。葬儀屋が手配した駕籠かきが籠と棺を担ぐ。先導するのは改まった服装の親類縁者の男性達で、提灯、花、放鳥、香炉、跡継ぎの男性の持つ位牌が、この順に続く。女性は人力車で葬列に続いたと言われるが、この写真を見るとそうではない。

寺に着くと、位牌、香炉、食べ物、花、その他の物を祭壇に安置する。最初に、別に着席している家族が焼香する。参列者はそれに続く。この時、全員に菓子を配る。これは、蓮の花の形をしている場合がある。

葬儀が終わると、家族と葬儀社の社員が棺を火葬場まで運ぶ。1891年(明治24年)に、市内に埋葬することが禁じられたので、遠い距離を歩くことが多かった。

木を燃やすので火力が弱く、火葬は臭いがきつかったので、夜に行なわれた。骨は家族が翌朝に拾った。

農村部の葬儀の参列者は、通常村人に限られていたが、明治の東京では、できるだけ多くの人々が参列できるように行なわれた。1


写真の部分

この写真は、とりあえず玉村康三郎が撮影したとされているが、それはブリンクリーの「Japan」に入っているから。

1 村上興匡(2000)。Changes in Japanese Urban Funeral Customs during the Twentieth Century. Japanese Journal of Religious Studies 27/3-4 (「葬儀執行者の変遷と死の意味づけ」(「葬祭仏教、その歴史と現代的課題」による)からの英語の翻訳。伊藤、藤井著1997:97122)。2008年5月1日検索。

2 歴史の証人:「明譽眞月大姉葬儀写真帖」は、家庭の葬儀の場面を含めた葬儀全体の珍しい写真を紹介している。

3 Modern Passings: Death Rites, Politics, and Social Change in Imperial Japanは推奨に値する(英語)。

4 現在の日本の葬儀産業研究はJETROの行なったものがある(英語)。

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Japanese Furniture


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地図はありません。
撮影者: 玉村康三郎
発行元: J B Millet Company
メディア: 鶏卵紙
写真番号: 70614-0007
写真利用許可を申請される場合は、この写真番号で指定して下さい。
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自分のブログに以下のテキストをコピペして、ブログの読者にもこの古写真を知らせよう。
1890年代 明治時代の葬儀

霊柩車とその周りに大勢の参列者が写っている。場所は東京か大阪のような都会と思われる。幟には「故石橋老母喜久」の名が読める。明治時代、葬儀には通常大勢の人々が参列し、費用もかかった。短い間に一家に続けて二つの葬儀があると、その家は破産すると言われた。社会評論家からの批判、特に車が増えて人々が道路から押し出されるといった社会の変化などで、これらの派手な行事は結局終わりを迎えることになった。

画像のURL: http://oldphotosjapan.com/images/254t.jpg
Posted by Kjeld Duits 2008-04-30
posted by みちゆき at 08:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月16日

感想と反論「曽野綾子著『貧困の光景』を読んできてU」

 曽野綾子著『貧困の光景』を読んだ。
 前に
「 ただ、シュヴァイツァーを引用して(220Pなど)、植民地国家が去った後の混乱に目を向ける。この視点は現実的な視点である。」
 と書いた。

 これは新しい視点であったので自分の中でもんでみた。
 これに対する反証可能性を考えてみる。

 すると
 「武器ビジネスは決してなくならない」という前提、この前提は人類史上一度も破られたことのない前提である。売春はなくならない、などと同一レベルの文系的な知識の最も固い前提であろう。

 「武器ビジネスは決してなくならない」という前提を受け入れるならば、もし、イギリス、フランス、アメリカ、ソビエトなどが本国とどうレベルに近い植民地を保持していたのならば、どうなったか。前提を受け入れるなら武器が消費される戦争、紛争、内乱が起こるのだから、イギリス植民地連合国VSフランス植民地連合国VSアメリカ植民地連合国VSソビエト植民地連合国の4つ巴の第3次世界大戦になっていただろう。
 これに核が加わったのならば、確実に核を戦略的に使用した第3次世界大戦が生じていた。これは、戦争の根本原因が食料争奪戦争、エネルギー争奪戦争、という意味でも肯定される。各連合の保持する農業技術を伝播させなかっただろうからである。現在のNPOやNGOの活躍によって起こった緑の革命によって食料は増産され、世界の人口、特に70年代以降の人口は爆発した。ということは、70年代前後、あるいは以後10年前後に第3次世界大戦が生じた、と予測される。

 日本が平和ボケして安全、安心の国になっているのは、決してなくならない武器がアフリカで消費されているからである。

 アフリカが独立したことは、大分間接的にではあるが日本がその後平和と繁栄を維持していく1つの間接的な要因になったのではないだろうか。

(補足 他所での感想)


 日本に居ながらアフリカの現状を教えてくれるこの本は素晴らしい本である。
 本物とは、自然のように雄雄しく、時に嗚咽や吐き気を催しながらも感動を与えてくれ、後々まで覚えているものである。この意味において、『貧困の光景』は素晴らしい本である。一連の曽野綾子氏の本の中でも読みやすくまとまっていた。

(掲載済)
posted by みちゆき at 14:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月12日

私の半生「エイズが私に最も影響を与えた病気」


 「アフリカでは、子供に対してエイズの検査はしない方がいいんです」

 ハッとして半生を振り返った。
 私に最も影響を与えた病気はエイズだったからだ。
 
 18歳になり東京に出て、これから遊ぼう、という意気込みで乗り込んだ時、エイズのことを知った。ひそかに調べてみると、これは大変な病気で、どうにも罹ると死ぬらしい、死ぬまでに苦しむらしい、さらには周りにも移してしまうらしい、ということが分った。主に性交渉で移る、というのであるから、水商売系の人と付き合うのを断念せざるを得なかった。
 エイズへの恐怖が、私を水商売から遠ざけたのであった。

 その頃、抜群に格好いいとは思っていないにしても、ノリやトーク、気遣いで女性にモテルと思っていた。水商売にとても興味があった。暴力団の実態を良く知らなかったから、男気や不良にあこがれもあった。
 けれども、そうした世界に入ると必然的に汚れる、と思った。だから、私はまっとうな女性しか相手にしなくなった。何度か誘われても風俗に、いわんやキャバクラにさえ行っていないのもエイズのせいなのだ。

 そして「死を真剣に、自分のこととして考えるようになった最初のきっかけ」は、半生を振り返ってみるとエイズだ、と思い返せるのだ。
 私は、今、死について端っこに噛り付いている。そのきっかけを与えたのがエイズだった。と同時に、そのきっかけから「なぜ、千と千尋の神隠しは大ヒットしたのか」というペーパーも生まれた。

 もし50年、100年昔であれば結核であったかもしれない。ただ、私は現在という時間的、場所的制約に生きている。その中で出会った病気、意識の上に上がってきた病気、がエイズであった。50年、100年前ならば、今のような意識を持っていただろうか。いや、そのようなことは決してありえない。

 私は、今、現在を生きているのが分る。その1つの証明がエイズという病気なのだ。
posted by みちゆき at 12:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

曽野綾子著『貧困の光景』を読んできて

 曽野綾子著『貧困の光景』を読んでいる。
 かつて、映画「ダーウィンの悪夢」についての評価で書いた、ことと同じことが書かれていた。 
 伝統的社会倫理の崩壊による農業の崩壊、それゆえの貧困(例えば221-222P)。

 ただ、シュヴァイツァーを引用して(220Pなど)、植民地国家が去った後の混乱に目を向ける。この視点は現実的な視点である。
posted by みちゆき at 13:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月09日

H高出身というレッテルを剥(は)がしてみた私は

 今日もスタバに行ってきた。
 3冊の本と、NEWSWEEK2冊と漫画を2冊持ち込んで。

 後ろのおばさん4,5人が恋話をしていた。
 「そうそう、H高なのよね、頭よさそう」
 「わかるわかる」

 H高というのは全国的にみれば平均的な学校だけれど静岡市だと頭のいい学校に入る。そして私はその学校の出身者で、選挙の時や教師の世界では、この「H高出身者」というのが1つのパスポートになった。公務員の先生もH高校やS高校の先生をやった時期を自慢する。

 と同時に読んでいた曽野綾子さんの『貧困の光景』の一文を思い出す。
 「「貧困とは、その日、食べるものがない状態」を言う。」

 H高出身者という私のレッテルを剥(は)ぎ取れば、すっぱだかの私になる。
 親が金持ちだとか離婚しているとか、職業はなんだとか、借金が1000万あるとか、そういう社会的な枠を取っ払った裸の私になる。

 裸の私、に自信が持てなくなってしまったのが現代の日本人の問題点です、と河合隼雄氏は『いじめと不登校』の中で言っている(丁度読んでいた)。

 裸の私、「このままでいいのかな?」と普段は自分を責めたりもする。
 無能で、無慈悲で、結婚もしていないし、しっかりとした職にもついていない。友達もそんなに多くない。

 裸の私、でも、なんだか裸になってみて無性に安堵した。
 殆どニート 自己否定的になることが普段は多いけれど、なんだか安堵した。

(転載済)
posted by みちゆき at 22:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする